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ある社長の独り言

ある社長の独り言

気持ちよく転職するために

「企業は人なり」、この言い古された言葉を、多くの経営者の皆さんには改めて実感を持って噛み締めているのではないだろうか。景気の好転で、雇用環境も改善し、人材難を嘆く声があちらこちらから聞こえている。一方「格差の拡大」が大きな政治問題となり、その議論がかしましい。人材紹介会社から見て、特に重大な格差問題は「人材確保力」の格差である。所謂有力企業とそうでない企業との格差拡大を成り行き任せにするわけにはいかない。この格差是正は容易なことではないが、これからの人材企業に課せられた重要な社会的使命でもある。そのように言う、人材会社の社長自身がわが身を思い「企業は人なり」を痛感する昨今である。


2007年2月27日の独り言

来年4月に就職しようとする学生たちの就職活動はすでに本格化しているようだ。氷河期ともいわれた数年前の就職環境とは様変わりである。人材という資源しかない我が国の将来を背負う若き人材達が適性と能力を存分に発揮しできる適職に就くことを願う。しかし、優秀と目される学生達が所謂有力企業に集中偏在してしまう現実にも危惧を覚える。それが就職先を決める学生達のやむを得ない心情とすれば、社会を実感し、仕事を覚え、自分の適性を理解した段階で改めて自分の適職を考え、チャレンジするという気概を望みたい。有力大企業は貴重な資源を有効に活用することは無論であるが、育成した人材をより有効に活用するために社会的な再配置に協力するという広い度量を持って欲しいと願うのは、ないものねだりに類することであろうか。

2007年3月9日の独り言


我が国の若者たちの英語によるコミュニケ−ション能力は筆者の学生時代と比べれは飛躍的に向上しているように思う。特に女性は英会話の習得に熱心な人たちが多く、TOEIC900点台も珍しくはない。しかし、留学帰りのこの若者たちが就職には恵まれていないのも事実である。即戦力としての実務能力を求められると、二十歳代の半ばを過ぎた年齢で職務経験がないことが大きなハンディになっている。若く働く意欲も旺盛な人材が職務経験を持つ機会を得られないというのは大きな社会的な損失であり、今後何とかせねばならない問題と思う。小規模な企業にはコストを負担する力が乏しい。外資系企業は育成という観念や仕組みがない。ニ−トやフリ−タ−の問題も根は同質なもののように思える。貴重な若手労働力を有効に活用する育成の社会的システム作りに国や大企業が本格的に取り組んで欲しい。

2007年3月13日の独り言

筆者の年齢に近い世代であれば誰でも実感していることであろうが、まだサラリ−マンの定年が55歳であった30、40年以前と比べ肉体年齢も精神年齢も10歳以上は若くなった。最も精神年齢は若者に、肉体年齢は年寄りに特に若さ、ひょっとしたら幼稚さが際立っている。筆者が新入社員として配属された九州の工場では週に何回か定年退職者を正門の前で送るセレモニ−があった。その時に定年退職者の誰もが挨拶で「大過なく定年まで勤められた」と謝辞を述べるのだが、その「大過なく」という言葉にいつも違和感を持ったことを記憶している。しかし、今思うとあの時代の定年退職者たちは大正の初年に生まれ、長い戦争の世紀に生きてきた人々であった。塗炭の苦しい経験も乗り越え生き残ってきた人々である。「大過なく」という言葉には色々な思いが込められていたのであろうと最近になって気がついたのである。最近の60歳の定年退職者はまだまだ諦念の心境ではない。これから一旗も二旗も揚げようという野心や欲望もエネルギ−も残っている。このシニアの大群のパワ−を日本社会がどう活用できるのか、この国の将来がかかっている。

2007年3月22日の独り言

汚職の根を断てということで公務員の天下りを防止する「新・人材バンク」構想が浮上している。従来あった「人材バンク」が総務省の管轄下の公務員再就職斡旋機関としてですでに7年前に設立されていたことは、うかつにも知らなかった。もっとも、7年間で紹介実績が1件という嘘のような報道が本当であれば、知らぬことを恥と思う必要もあるまい。いずれにせよ、公務員の再就職問題は簡単ではない。ここで、軽はずみに結論めいたことをいうべきではないが、公務員、特に中央官庁採用のキャリアといわれる人材に民間企業が何を期待するのだろうか。官を離れる年齢にもよるが、官における職歴と無関係に採用しようということはありえない。職務経歴と切り離してその人材の職務能力を考えるわけにはいかない。観念先行の議論は危うい。新・人材バンクも7年に一件という惨憺たる結果にならないとも限らない。そして、高級官僚といわれる人々を頂点とする牢固とした官僚システムとそこから生まれる官尊民卑に通じる選良意識が温存されている限りは公務員の再就職問題が簡単に片付くとは思えない。安易な思いつきや格好の金儲け話として群がる人材企業の発想で根の深いこの国家的問題が解決するとも思えない。

2007年3月27日の独り言


数週間前に久方ぶりに福岡県のO市を訪ねた。ここも石炭産業の栄えた時期から比べると人口は半減し、往時の賑わいの残影は、街を走る片側三車線の国道とその両側にある広すぎる歩道に感ずるばかりである。土曜の昼下がりに車も人も疎らで、撮影が終わって取り残された映画のセットを見るようであった。それでもこの町は北の産炭地からすればはるかに恵まれている。町には複数の大企業の工場が稼動し、工業都市としてのインフラも今のところは機能している状況である。しかし、この町の将来を考えた時、工業都市としての再投資が継続してなされるのか、疑問を呈さざるを得ない。この町に他の工業都市に比して優位な条件があるとすれば、長い歴史の中で培われた広義の技術の蓄積ということになろう。それは言い換えれば、ノウ・ハウの蓄積ということでもある。しかしノウ・ハウはデ−タ化されたといっても所詮は人に付帯しているものである。地方の格差問題が地方選、参議院選の争点になっているが、魅力ある町でなければ、ノウ・ハウを背負って人は移動し、町は衰退のスパイラルを辿ってしまうかもしれない。町の魅力、住民にとっての魅力とは何か。時間軸を入れた立体的な新たな視点で考えてみたい。

2007年3月27日の独り言

私の住む神奈川県の某市が最近隣接する三つの町と合併して人口70万人を擁する大都市になったようだ。ようだ、と外者のようにいうのは、自分には関係のないことのように思えるからだ。かねてから収入の割には多額の住民税を徴収され、かつ市のサービスの恩恵には余り浴していないという不満を募らせてきた私にとっては、居住する都市の面積が広がり、人口が増加することで益々行政サービスは拡散し、そして何よりも住民の連帯感のようなものが薄れていくような懸念を持つ。広域都市化の流れは地方分権を促進しようとする政府の思惑にも通じているのであろうが、住民たちの安心を支える地域のきめ細かいサービスがおざなりになり、共同体意識も薄れていくのではないか。郷土愛とまでは言わないが地域に対する愛着といった心情を大事に育むことは、地域行政にとって極めて重要であると思う。
私が卒業した高校は伊豆半島にある。懐かしい青春の思い出の地である。その町が近隣の二町と合併して伊豆の国市となったと最初に聞いたときは冗談と思った。その隣に伊豆市ができたと聞いて、観光地のみやげ物のような安直な命名に大切な故郷を汚されたような思いを持ったというのは誇張ではない。行政のムダを排除する合理化は当然のことではあるが、伊豆半島に伊豆市と伊豆の国市が隣り合わせにあるというのはなんとも芸のない話ではないか。歴史と自然に恵まれた我が国最良と言っても良い地域であるという誇りと愛着を持っている人間にすれば、その思いに水をかけるいったことはして欲しくない。

 

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